東京地方裁判所 昭和54年(ワ)1149号 判決 1988年6月07日
原告 甲野太郎
<ほか一名>
右原告両名訴訟代理人弁護士 杉林信義
同 沼尻芳孝
同 高橋早百合
被告 東京瓦斯株式会社
右代表者代表取締役 村上武雄
右訴訟代理人弁護士 岡田錫渕
同 上田幸夫
被告 兼松ハウジング株式会社
右代表者代表取締役 伊勢寛
右訴訟代理人弁護士 音喜多賢次
主文
一 原告らの請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告両名は連帯して、原告両名に対し、各金五三二〇万三一八四円及びこれに対する昭和五四年二月二四日から支払済まで年五分の割合による各金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 関係当事者
原告甲野太郎(以下「原告太郎」という。)、同甲野花子(以下「原告花子」という。)は、亡甲野春子(以下「春子」という。)の両親であり、被告東京瓦斯株式会社(以下「被告東京瓦斯」という。)はガスの供給などの事業を、被告兼松ハウジング株式会社(以下「被告兼松ハウジング」という。)は不動産の管理などの事業をそれぞれ目的とする株式会社である。
2 本件事故の発生
昭和五三年三月三〇日午後七時ころ、東京都新宿区原町二丁目三〇番所在マンション牛込ハイム(以下「本件マンション」という。)三階三一三号室(以下「本件居室」という。)において、本件居室の賃借人である春子(当時二二歳)が一酸化炭素中毒により死亡した(以下「本件事故」という。)。
3 本件事故の原因
(一) 本件居室の位置、構造
本件居室は本件マンション(地上一四階、地下一階建、延べ面積一一四三五・一四平方メートル)三階(面積六四五・四三平方メートル)にある、居室面積約二六平方メートルの一室である。
内部は、入口ドア右手に炊事用の流し台、その隣に大型ガス瞬間給湯器、その奥に調理用ガスコンロが設置され、入口から入って突き当たりの右隅に浴室兼トイレの小部屋が設置されている。西方廊下に面した部分に縦一七五センチメートル、横九〇センチメートルの入口ドアが設けられており、同居室は東方に縦一六〇センチメートル、横九〇センチメートルの開閉可能なガラス窓一個と北方に縦一六〇センチメートル、横六〇センチメートルの開閉不能なガラス窓一個と直径六五ミリメートルの換気口と直径一〇〇ミリメートルの換気口各一個(その合計面積は二七・八九平方センチメートル)が存するほか他の三方はコンクリート壁で囲繞されている。加えて、春子は部屋東北の窓よりにベッドを備え付けたが、ワンルームであるため、入口方向からベッドを遮蔽するためにカーテンを使用せざるを得なかった(別紙牛込ハイツ三一三号室略図参照)。
このように本件居室の構造は換気を十分に行うにはきわめて不便な構造であり、室内で後述する構造のガス給湯器を使用した場合には室内の酸素がたちまち欠乏するとともに一酸化炭素が漸次充満して生命、身体に危険な状態となることは明らかである。
(二) ガス給湯器の構造
本件居室で使用されていた大型ガス瞬間給湯器(以下「本件給湯器」という。)は室内の空気中の酸素を取り入れて燃焼し、排気ガスは排気筒により室外に排出する半密閉型のものであった。
またこのガス給湯器は風呂の湯も供給するもので、給湯器に種火を点火しておけば風呂の湯栓の開閉によって、給湯器のガス器具のコックが開閉する仕組みになっていた。
半密閉型給湯器は、室内の空気中の酸素を取り入れて燃焼するのであるから、前記のとおり換気が十分できない本件居室で右給湯器を使用した場合には、室内の酸素がたちまち欠乏するとともに不完全燃焼による一酸化炭素が漸次充満して居住者の生命、身体にとって危険な状態となることは明らかである。
(三) 以上によれば、本件事故は適切な換気装置が設けられていない本件居室内に設置された半密閉型瞬間ガス給湯器で風呂の湯を沸かしている間に右給湯器のガス燃焼にともない室内の酸素が欠乏し、ガスが不完全燃焼を起こした結果、一酸化炭素が多量に発生しこれを春子が吸入したことに起因する。
4 被告らの責任原因
(一) 被告東京瓦斯の債務不履行
(1) 被告東京瓦斯は、ガス事業法及びその関連法規に基づき、ガス事業者として室内に設置されたガス給湯器につき有効な排気が行なわれる措置が講じられているかどうかを調査するとともにガスの使用に伴う危険発生防止に必要な事項、すなわちガス器具の管理及び点検に関し注意すべき基本的事項及びガス器具を使用する場所の環境及び換気に関する事項をガス使用の申込を受けた時及びそれ以外に年一回以上ガス器具使用者に周知徹底させる義務のみならず、法規の趣旨を踏まえて法規で具体的に定める以外の事項についてもガス使用に伴う危険発生を防止するための必要な事項を調査して、使用者にこれを周知させ、危険を未然に防止すべきガス供給契約上の義務が存する。
(2) 春子が本件居室に入居した際、又はその後においても被告東京瓦斯から本件給湯器の機能(室内の酸素をとり入れて燃焼するものであること)について説明を受け、これを使用するときには酸欠や一酸化炭素の充満の危険があることを注意され、かつその危険の防止方法について教示を受けていれば、本件居室内に一酸化炭素が充満するような事態は十分防止できたはずである。
(3) しかるに被告東京瓦斯は(1)の義務に違反して春子が本件居室に入居した時にも本件給湯器の設置場所の環境及び換気に関する事項を調査して危険発生防止に関する必要な事項を周知させなかっただけでなく、ガス料金が高すぎると疑問をもった同人がマンション管理人を通じて被告東京瓦斯にガス器具の検査を依頼し、同年二月二四日、被告東京瓦斯の関連サービス会社の検査員が本件居室に来て検査した際も、検査員は、単にガス器具の燃焼テストをしただけで室内の換気施設の有効性を半密閉型の本件給湯器の使用との関係において点検することもせず、従って、また春子に対し具体的にガス事故防止の措置を周知させることもしなかった。
このため、春子は本件給湯器の使用により本件居室内に一酸化炭素が充満する事態を防止できず、本件事故により死亡するに至った。
(4) よって被告東京瓦斯は、本件事故につき責任がある。
(二) 被告兼松ハウジングの債務不履行
(1) 被告兼松ハウジングは、本件居室の所有者である常楽寺の委任を受けて本件居室の管理義務を負っていた。被告兼松ハウジングは、管理義務の内容として部屋の給排気口の換気能力を調査点検し、不備があれば直ちに居室の使用者に注意を促すとともに十分な換気能力を保持する程度に給排気口を改善しなければならない義務がある。
(2) 本件居室は、小さな開閉可能な窓一個と口径の極めて小さな換気口二個が存するのみで、換気能力が皆無に等しい状態であったにもかかわらず、被告兼松ハウジングは、本件居室の給排気口の能力に関する調査、点検を怠って、何等の改善方法も講じなかったほか、本件居室の使用者である春子に対しても何らの注意も促さなかったため本件事故が発生した。
5 損害
原告両名は、本件事故によりそれぞれ次のとおりの損害を被った。
(一) 原告らは、春子の父母として同女の左記逸失利益の損害賠償請求権と慰謝料請求権とを各二分の一あて、すなわち金四五七〇万三一八四円ずつ相続した。
(1) 春子の逸失利益 金八一四〇万六九三四円
イ 春子は死亡当時二二歳の独身女性で、東京女子医科大学の三年生の単位を全て取得し四年生に進級間近であり、本件事故がなければ、昭和五六年三月に無事東京女子医科大学を卒業し、同年四月に実施される予定の医師国家試験にも合格し直ちに医師の免許を得たであろうことは間違いない。
ロ 人事院の調査による職種別賃金表によれば、昭和五二年度の医師(病院長、副院長、医科長を除く一般医)の平均(三八、九歳)定期給与は月額金四五万二〇二九円である(ただし、時間外給与金三万三八四三円を含む。)
そして、年間賞与として、少なくとも国家公務員の賞与である四・九か月分相当を得るはずであるので、右月額給与金四五万二〇二九円から時間外給与金三万三八四二円を控除した金四一万八一八七円の四・九か月分の金一九八万六三八八円も春子の収入に含まれる。
従って、春子の年間収入は右給与年額金五四二万四三四八円と賞与総額一九八万六三八八円を合算した計金七四一万〇七三六円である。
ハ 春子の残存稼働可能期間は少なくとも四一年であり、年平均生活費は年収の半分とみるのが相当であるから右稼働期間内の春子の純収入の原価は、新ホフマン式計算法によりその間の中間利息を控除すれば、金八一四〇万六九三四円となる。
(2) 春子の慰謝料請求権 金一〇〇〇万円
春子は、女子医大生として勉学に励み、将来医師として国家社会に貢献し、私的には立派な妻となり母となって幸福な人生を歩もうとしていたのに、本件事故により全てが瓦解してしまった。春子の受けた精神的苦痛に対する慰謝料として少なくとも金一〇〇〇万円が相当である。
(二) 原告らの慰謝料請求権 各金五〇〇万円
原告らはその娘である春子の死亡により甚大な精神的苦痛を被ったものであり、これに対する慰謝料は各五〇〇万円が相当である。
(三) 弁護士費用
原告両名は、本件事故による損害賠償請求訴訟手続を原告訴訟代理人三名に委任し、その手数料及び成功報酬として総額金五〇〇万円を支払う約束をし、原告両名は、内金二五〇万円ずつ負担することとした。
6 よって、原告らは、被告ら各自に対し、債務不履行による損害賠償請求権に基づき金五三二〇万三一八四円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五四年二月二四日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 被告東京瓦斯
(一) 請求原因第1項の事実のうち、被告会社の事業目的は認め、その余は不知。
(二) 同第2項の事実のうち、春子が死亡したことは認め、その余は不知。
(三) 同第3項の事実のうち、本件給湯器が半密閉型であったことは認め、その余は不知。
(四) 同第4項(一)(1)の事実のうち原告ら主張のようなガス事業法及びその関連法規に基づく義務があることは認め、その余は否認する。同項(一)(2)の事実は不知。同項(一)(3)は否認する。同項(一)(4)は争う。
(五) 同第5項は争う。
2 被告兼松ハウジング
(一) 請求原因第1項の事実は認める。
(二) 同第2項の事実のうち、春子が死亡したこと、春子が本件居室の賃借人であることは認め、その余は否認する。
(三)(1) 同第3項(一)の事実のうち、本件居室が本件マンション(地上一四階、地下一階建)の三階にある居室面積約二六平方メートルの一室であること(ただし、本件マンションの延べ面積、三階の総面積は不知)、内部は、入口ドア右手に炊事用の流し台、その隣に大型ガス瞬間給湯器、その奥に調理用ガスコンロが設置され、入口の向こう側右隅に浴室兼トイレの小部屋が設置されていること、西方廊下に面した部分に縦一七五センチメートル、横九〇センチメートルの入口ドアが設けられており、東方に開閉可能なガラス窓、北方に開閉不能なガラス窓各一個があり、他に排気口二個が存するほか(窓、換気口の大きさは不知)、他の三方はコンクリート壁で囲繞されていることは認め、春子が、室内にカーテンを設置していた事実は不知。その余の事実は否認する。
(2) 同項(二)の事実のうち、本件給湯器が排気ガスを室外に排出するタイプのものであったこと(ただし、本件給湯器が室内の空気中の酸素をとり入れて燃焼する型であり、半密閉型と呼ばれるものであるか否かは不知)、右ガス給湯器が風呂の湯も供給するもので、給湯器に種火を点火しておけば風呂の湯栓の開閉によって給湯器のガス器具のコックが開閉する仕組みになっていたことは認め、その余の事実は否認する。
(3) 同項(三)の事実は否認する。
(四) 同第4項(二)(1)(2)の事実は否認する。
(五) 同第5項の事実のうち、原告両名が春子の法定相続人であることは認め、春子及び原告らの損害は否認し、被告に損害賠償責任があるとの原告らの主張は争う。
第三証拠《省略》
理由
一 本件事故の発生原因及びその原因について
1 春子が昭和五三年三月三〇日、本件居室において死亡したことは争いがなく、《証拠省略》によれば、死亡推定時刻は同日午後七時頃であり、死因は一酸化炭素中毒であることが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。
2 そこでまず右の一酸化炭素中毒の原因について判断する。
《証拠省略》を総合すれば、以下の事実が認められる(一部争いのない事実を含む。)
(一) 春子は、昭和三〇年七月二五日、医師である甲野太郎と妻甲野花子との長女として生まれ、昭和五〇年四月、東京女子医科大学に入学した。
春子は、入学当初は、浦和市の自宅から通学していたが、昭和五三年一月一〇日、学校の近くにある本件居室を賃借りし一月一五日ころ入居し、土曜日には自宅へ帰り、普段の日はマンションから学校へ通う生活を送っていた。
(二) 本件マンションは、昭和四六年一〇月ころ完成した東京都新宿区原町二丁目三〇番地所在の地上一四階建のマンションで、地上三階以上は各階一三室ずつの住宅になっている。このうち三階部分の全室(三〇一号室ないし三一三号室)は宗教法人常楽寺(以下「常楽寺」という。)が所有し全室を賃貸し、マンションの共有共用部分については常楽寺の委託により被告兼松ハウジングが管理業務を行っている。
(三) 本件居室は総面積約二六平方メートルの細長い五角形の部屋で、西方廊下に面した部分に縦一七五センチメートル、横九〇センチメートルの入口ドアが設けられており、内部には入口ドアの右手(南西部分)に、炊事用の流し台、大型ガス給湯器及び調理用ガスコンロが設置され、南東部分に浴室兼トイレの小部屋が設置されている。本件居室の開口部としては、入口ドアのほか、東側に縦約一六〇センチメートル横九〇センチメートルの開閉可能なガラス窓一個及びその下部(床上数センチメートルの位置)壁面に口径約六・五センチメートルの換気口一個並びに北側壁面にガラス窓一個及びその上部壁面に口径約一〇センチメートルの換気口一個が存する。(別紙牛込ハイツ三一三号室略図参照)
春子は、本件居室に、ガスストーブ等の備品を備え付け、右部屋をカーテンで南北に仕切って使用していた。
本件居室で使用されていたガス給湯器(ノーリツラインガス瞬間給湯器GQF―12号)は半密閉燃焼型すなわち室内の空気中の酸素によって燃焼し、排気ガスは室外に排出するタイプ(このタイプの給湯器は本件マンションの三階以上の各階の一二号、一三号室に設置されていた)のものであり、このガス給湯器は風呂に供給する湯をも沸かす(二五〇リットルの浴槽への冬場の給湯時間は約二〇分)もので、給湯器に種火を点火しておけば風呂の湯栓を開くことにより右給湯器のガス弁が自動的に開かれこれによって種火からメインバーナーに点火される(消火の時は湯栓を閉じればガス弁が閉じられ自動的に消火される。)仕組みになっていた。
給湯器の排気は、給湯器の上部に接続された排気筒から室外の共用排気筒を通って屋上にある排気塔から屋外に自然排気される構造になっており、各階の一二号室、一三号室が同じ構造になっていた。
ガスコンロの上にはレンジフードがついており、モーターで外へ排気するようになっていた。
(四) 春子は、ガス使用料が高額にすぎるとして、二月に東京瓦斯の委託業務を行っているジャマ精工株式会社牛込北町サービス店にガステーブルの点検を依頼した。二月二四日、同店従業員近藤鎮男は本件マンション管理人と共に本件居室を訪れ、春子からガス料金が高すぎるのではないかとの質問を受けたが通常の範囲内と判断してその旨返答し、さらに同室内の全部のガス器具の点検も行ったが、ガス器具に異常はなく、春子に換気に気を付けるよう注意を促したうえで、点検を終了した。
(五) 春子は、昭和五三年三月二九日午後六時三〇分ころ、新宿で友人乙山一郎(以下「乙山」という。)と会い、大学のコンパに一緒に参加して数店で飲酒したのち、同日午後一二時から翌三〇日午前一時ころまでの間に乙山と二人で本件居室に戻った。春子と乙山は居室内で三〇分程雑談した後春子が風呂を沸かすために中座したので、乙山がベッドに横たわって眠りかけていると、しばらくして春子もベッドに倒れ込んで来た。
これ以後三月三〇日午後一〇時ころ春子が死体となって発見されるまでの事態の推移は不明である。
(六) 三月三〇日午後一〇時ころ、春子から連絡のないことを心配した原告甲野花子が常楽寺に架電し三一三号室の様子を調べてもらったところ、一酸化炭素中毒で倒れている二人が発見された。春子はストッキングと下着をつけたままの状態でトイレ兼浴室の前に倒れ、既に死亡しており、乙山は意識不明の状態であった(乙山の意識不明の状態は約一か月半ほど続いたが、一命はとりとめ現在ではほとんど回復している。)。
右発見当時、本件給湯器には種火がついたままで、風呂の給湯栓は一応閉められていたが、湯(どの程度の温度かは不明)が湯舟一杯にあふれていた。なお、当時居室内にガス臭はなく、ガスストーブは点火されていなかった。
また、本件給湯器の取扱い説明書には換気口は給湯器を設置している部屋の外壁の上、下に設けて換気口をふさがないように注意されているところ、本件居室内には前記のとおり二口の上下の換気口が設けられていたが、これが開かれていたかどうかは不明である。
(七) 警察が、本件居室内で実況検分を一〇数回行ったが、後記四月三日を除き、本件給湯器から一酸化炭素は検出されなかったし、科学捜査研究所で本件給湯器を調査したが、正常に作動していた。三月三〇日は雨風が強く同日午後七時四〇分ころには強風注意報が出ていたため、本件事故につき気象条件が影響しているのではないかと推測して、四月三日、風のある日(南南東の風で風速四メートル位)に実験を行い、本件給湯器のガス栓を全開にして点火し、検知器を本件給湯器の背面に当て検査したところ、検査開始後三〇ないし四〇分で、一酸化炭素一〇〇〇ppm(一時間吸い続けると気分が悪くなり、二時間程度吸い続けると致死量に達する程度の量)が検出された。ただ、同一条件下で、基本的に本件居室と同じ構造で同一型式の給湯器が設置されている三一二号室でなされた右同様の検査では一酸化炭素は検出されなかった。
昭和五三年三月二九日から三〇日にかけての具体的気象状況、四月三日の一酸化炭素が検出された実況検分の際、居室中の一酸化炭素の量あるいは本件居室の換気口を開き又は閉じて本件給湯器で湯を沸かし続けた場合、何時間位で居室内が酸欠状態となり給湯器が不完全燃焼を起こすか、その場合に発生する一酸化炭素の量等については証拠上全く不明である。
(八) なお、本件居室は、昭和四六年一〇月に本件マンションが完成して以来春子が入居するまで四世帯に賃貸されてきたが、本件のような事故をもとより、本件給湯器の異常の発生もなかった。
以上のとおり認められ、右認定に反する証拠はない。
右事実経過に鑑み、本件事故の原因につき検討すると、昭和五三年三月三〇日午前一、二時ころから同日午後七時ころまでの間において、本件居室内の浴槽に給湯中の本件給湯器が不完全燃焼を起こしたため、一酸化炭素が発生し、春子はこれを吸引して中毒死したものと推定されるが、本件給湯器が不完全燃焼を起こした原因、態様については前掲各証拠及び前記認定事実によっても不明であるといわざるをえない。
まず、何時ころ、誰によって浴槽の給湯栓が閉じられたのかが不明である。すなわち春子が死体で発見された三〇日午後一〇時ころには浴槽には湯(温度は不明)が溢れていたというのであるから、右発見当時給湯器に種火がついていたことを考慮しても、三〇日の朝方(午前八時ころ)までに閉じられていたとは考えにくく(朝方より早く給湯栓が閉じられていたとするなら午後一〇時ころまで湯の状態であったというのは不自然である。)そうすると春子は給湯器をつけたまま寝込んでしまったのではないかとの疑いが残る。
次に、給湯器をつけっ放しにした場合に何時間くらい経てば本件居室が酸素欠乏状態になり、給湯器が不完全燃焼を起こすかについても、本件給湯器の燃焼による酸素消費量に関する客観的な資料の提出がないうえ、春子発見時において本件居室内の換気口(東側と北側の壁面にあるもの)が開いていたか否か、ガスコンロの上の換気扇(レンジフード)が作動していたか否かも不明であることを考え併せるとなおさらこの確定は困難である。
さらに春子が浴槽の給湯栓を閉め忘れたまま寝込んだのではなく、給湯を始めてから浴槽に湯が一杯になるまでの約三〇分程度の間に一酸化炭素が多量に発生し、そのまま一酸化炭素中毒により意識不明になったものと仮定したとしても、本件給湯器の機器自体には証拠上何らの欠陥も見出せないのであるから、強風のもとで排気筒を通って屋外へ排出されるはずの自然排気の機能に支障が生じてそれが本件給湯器の不完全燃焼を起こすという特異現象の可能性も完全には否定できないところである。
そうすると、本件給湯器の不完全燃焼の原因として種々の可能性が考えられ、とりわけ本件事故は、たとえ被告らに原告らが主張するような注意義務があり、かつそれを履行していたとしても防ぎようのなかった可能性も払拭できないのであるから、被告らの注意義務について判断するまでもなく被告らに本件事故の責任を負わせることは困難である。四月三日本件給湯器から一〇〇〇ppmの一酸化炭素が検出されたことや春子が生前本件居室内のガス料金が不当に高いと不満を洩らしていたことや春子が本件居室の換気不良で頭痛に悩まされていたこと、原告甲野花子も室内の酸素が不足しているせいか本件居室ではよく眠たくなったこと(これらはいずれも《証拠省略》により認められる。)などを考慮しても右判断には消長を来さない。
二 よって、原告らの被告らに対する請求は、いずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項本文を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 渡辺剛男 裁判官 松本史郎 猪俣和代)
<以下省略>